クラリネットを購入すると、その取扱説明書の中に運指表がついています。
そしてメーカーによっては、複数の運指を「基本の運指」と「替え指」に分けて
紹介しています。しかし、それがどういう根拠で、基本だったり替え指だったり
するのかは残念ながら解説されていません。
実際のところ、それらの使い分けに深い意味はないように思われます。強いていえば、
一番単純な運指が基本となっているようですが、それも確実なことはいえません。
ところが、この問題を振動工学の見地から検討すると、場合によっては、単純な運指が
必ずしも理想の振動を作り出さないことが分かってきます。このことを説明するために、
まずは音の高さがどのようにして決まるのかを解説します。
音の高さは、管の長さで決まります。トロンボーンのように直接操作するのなら
わかりやすいのですが、クラリネットの場合は、トーンホールを指やタンポで
開閉することによって、管内の振動気柱の長さを調整します。
このとき、マウスピースからある距離までのトーンホールは全て塞いで、それより遠い
トーンホールを全て開くことが、一番安定した振動気柱を得る方法になります。
ところが、空気の振動は面白いもので、本来より短い振動気柱が得られる状態で、
少し離れたところのトーンホールを塞ぐことでも、同じような長さの気柱振動を
得ることができるのです。この理屈によって、同じ長さの気柱振動、すなわち
同じ音程の運指がいくつかできるのです。
では、実際に一番基本となるべき運指というのはどういうものなのでしょうか。
それは、上の説明の中でも少しふれましたが、一番安定した気柱振動が得られる運指、
すなわちある距離までのトーンホールが閉じていてそれより遠い分は全て開いている、
そういう運指が基本なのです。ただし、一部のタンポが自然状態で閉じていますが、
これは本来管があるべきところを、一部の音のためにトーンホールにしたものなので、
上でいう「全て開いている」に当てはまらなくても差し障りありません。
実は、こうやって考えると、普段よく使う運指が実は替え指で、替え指だと思われているものが
基本の運指である例がいくつかあります。たとえばLowAは、普通(1)を使うことが多いのですが、
先に述べた原則で考えると、実は(2)が基本の運指なのです。
もう一つ、基本の運指を考える際に大事なのは、(3)で示したキイは本来トリル用の
ものであって、基本の運指には使ってはいけない、ということです。これは、
クラリネットの成り立ちを調べると、これらのキイがない、あるいは一部欠落した
楽器が存在した記録がある事で裏付けられます。そうすると、中音のAsは、(4)よりも
(5)の方が響きはいいのですが、これは替え指ということになります。
これらの条件を満たす運指が基本の運指ということになるのですが、それではいったい
この運指を知っているということがどのように役立つのでしょうか。
この基本の運指の特徴は、工学的見地からみても、振動がもっとも安定している
ということが挙げられます。このことは、楽器に言い換えれば音が安定しているということに
直結します。つまり、ppも安定しやすく、ffも割れたりひっくり返ったりしにくい
ということがいえます。ですから、そういう場面で意識して使うことが勧められます。
ところが、少し早い運指だったり、前後の指の関係で基本の運指が使えないことも
非常に多くあります。この場合、特に事情がなければ基本の運指にこだわる必要はありません。
なぜなら、クラリネットは他の木管楽器に比べて遙かに
安定した音を出すことができる構造の楽器なのですから。