あたりまえのことですが、音はみることができません。音は、物理的には物体(主に空気)の 振動の伝播を、鼓膜が感じ取っているのですから、強いていえばその物体の色が音の色とも 言えないことはありません。とはいっても、その色はあくまでも物体の色であって、音そのものの 色ではありません。
では、もし音が目に見えたとしたら、どうなるでしょう。もちろん、すべての音が目に映ったら
目の前は音だらけになって大変なことになってしまいます。ここでは都合よく、聴きたい音だけが
見えるものと勝手に仮定します。
クラリネットに関して思いつくのは、音の色を使って音楽をもっと効果的に演出できるのではないか、
ということです。たとえば、躍動感のある音楽に原色(赤とか)をあわせたり、逆におとなしい
メロディにパステルカラーを合わせたりすることで、音楽の印象をより鮮明にすることが
できそうです。場面転換も、色を変えることでよりはっきりと示すことができるでしょう。
ここでちょっと違うことを考えてみます。
普段私たちは何気なく「音色が、音色が…」といいます。よくみると「ねいろ」は「音の色」と
書きます。上に述べたように、音には色はもとより、視覚的要素はありません。にもかかわらず
「音の色」と書きます。なぜでしょう。
もちろん、いわれはちゃんとあると思います。でも、この「音色」という言葉の裏には、
音が色を連想させる要素が強い、という事実を暗に示しているのではないかと思われます。
他の感覚、たとえば匂いや温度を連想するのであれば、「音色」ではなく「音香」とか
「音温」という言葉が、音色と同じように使われていたのではないかと、想像できるのです。
そういえば、音の様子をあらわすのに「明るい音」「暗い音」といいます。「輪郭のはっきりした音」
「ぼやけた音」というのも、やはり目で見えるものがベースとなっています。もちろん、「甘い音」
という表現もありますから、すべてがそうとはいえませんが、やはり視覚とつながっている
部分が多いようです。
これは、音も光も、人間の気持ちに作用する部分がはっきり現れているからではないかと 考えることができます。たとえば「明るい光=気分が高揚する=明るい音」といった具合に、 連想される気持ちを仲立ちとして、連想しているかもしれません。
では、ここまで見た事を合わせて考えると、どんなことがいえるでしょうか。
もし、音が目に見えたら音楽がずっと説得力に富んだ、印象深いものになります。一方で、
音の違いと目に映るものの違いは、いろいろな感情を仲立ちにしてゆるやかな関係を
もっています。だとすれば、音を音楽に合わせた音色に自由に操ることができれば、
その音色から連想する色や感情を用いて、よりいっそう素敵な音楽にすることが
できるのではないか、ということになります。
これは結局、音楽にあわせた音色を使う、ということに他なりません。だれもが いちどは聞いているであろうことですし、多くの場合すでにあたりまえに なっていることかもしれません。でも、このように少し違った視点から同じものを みることで、少し違ったことに気づくことができるのではないでしょうか。